大アルカナ 天(心)の巻 15~21のカードの物語

日本昔話タロット 大アルカナの「天の巻」は15番~21番で構成されます。

天と言われるだけあって、

「月」「星」「太陽」と天体に関するカードが登場します。

ここでは心の移り変わりが表現されています。

心の悪魔や驕り、崩壊、反省、迷い、達成、結果、

最後に世界のカードで幕を下ろします。

世界は世界観に通じます。

 

その出来上がった世界観で、

あなたには、また別の扉が見えてきます。

そして、完全なる不完全の「0番」として、

※魂のレベルは上がっています。

また新たな1番である「ひらめき」「ときめき」からスタートします。


15 悪魔 DEVIL 舌切り雀

悪魔のカードは

日本昔話タロットでは人間の心が悪魔を生むのだと言うメッセージを込め、

舌切り雀で表しました。

 

お婆さんは普段から雀を可愛がるお爺さん、

そして、可愛がれている雀にも不満を抱えています。

ある日、お爺さんがいない時に雀がお婆さんの洗濯糊を食べます。

お婆さんは普段からの溜まった怒りが爆発し、何と雀を捕まえ、

舌をハサミで切ってしまいました。

雀は這う這うの体で何処へ逃げて行きました。

何と恐ろしいお婆さんでしょうか、、、、

 

まさに悪魔のお婆さんです。

話はまだ続きますが、

その前にウエイト版の解説に参りましょう。

ウエイト版の悪魔は、
恋人たちのカードのその後が描かれたように構図が似ています。
違いは禁断の果実を食べ、
神との約束を破ったアダムとイヴに鬼のような角が生え、
真ん中に位置する悪魔に鎖につながれています。
アダムとイヴにしっぽが生えているのは、理性を失っている状態。
イヴのしっぽの先は柘榴の実。
これは2番のカード、「女教皇」の後ろにも描かれている秘密の果実。
仏教では人を食べる鬼に、人を食べる代わりに食べるよう与えられた柘榴である。
その為、人の味がするとされている。
その柘榴の秘密の味を尻尾につけた女性イヴ。
そして、アダムは生えたしっぽに悪魔に火をつけられ、しっぽは火と化しています。
これは、イヴのような秘密の味を持つ女性にせがまれると欲情してしまう性を
アダムが焚き付けられている事を表している。
悪魔。正に悪魔。
手籠めに出来そうな女を目の前にした男の何気ない仕草を表したような軽いゼスチャー。
「よっ!彼女!」
アダムの姿は正にそんな感じに描かれている。
イヴはボケっと何か考えてますね。

こちらはマルセイユ版の悪魔です。

 

構図はウエイト版と似ています。

さて、この気になるのは悪魔の身体がトーテムポールのような絵が描かれている事。

トーテムは古代モンゴリアンの動物信仰。

日本ではアイヌ、北米のインディアン、アラスカエスキモー、インディアン、

南米アンデアンの共通思想。

素晴らしい思想だが、

マルセイユタロットが生まれた16世紀前後は、

コロンブスがアメリカ地域へ辿り着いたころ。

この動物信仰が野蛮で邪悪なものとされていた背景が、

悪魔の身体にトーテムが描かれている事で分かる。

鎖で繋がれた男女にも、

出されれば何でも食べてしまうヤギの角が描かれています。

私は純粋なヤギに対する悪意を感じまう。

さて、舌切り雀のお婆さんですが、

お婆さんに舌を切られて逃げた雀を追って、お爺さんは山に探しに出かけます。

お爺さんは散々な目に遭いながら、

とうとう雀のお宿を見つけます。

 

お爺さんは雀の生死が心配であった。

元気な雀の姿を確認するとホッとしたお爺さん。

しかし、雀のお宿で大そうな歓待を受ける。

 お爺さんはその帰り際、お土産を選べと言われる。

「小さなつづら」or「大きなつづら」

お爺さんは遠慮がちに「小さなつづら」を選んだ。

家に帰って小さなつづらを開けてみると金銀財宝が!

 

するとお婆さん、何で「大きなつづら」にしなかったか!とお爺さんを叱責。

お婆さんは大きなつづらを貰いに雀のお宿へ向かう。

奪うように貰った「大きなつづら」には魑魅魍魎がウジャウジャ。

お婆さんはその魑魅魍魎に殺されてしまいました。

 

この舌切り雀のお話、

実は雀は若い女性と言われている。

若い女性を可愛がるお爺さんへの嫉妬もあって、

雀の舌を切ったとされており、

お婆さんへ多少の同情も感じる。

しかし、最後の欲の大きさを見て、

自業自得の感は否めない。

 

お婆さんのこの強欲さにお爺さんは辟易としていた事だろう。

その為、小さな雀と小さな喜びを癒しにしていたのだろう。

 

だからお爺さんは「小さなつづら」を選んで、

雀のお気持ちに感謝したのだ。

 

お婆さんは物欲の塊。

「大きなつづら」はお婆さんの大きな欲、そのもの。

大事なことを見失っているお婆さんは、

心を忘れ、物質的な幸不幸に押しつぶされたのだ。

強欲は人を不幸にする戒めですね。

 

そして、この強欲は本人だけでなく、

他の多くの人を苦しめる事になる「塔」のカードへと続く。 


16 塔 TOWER 鶴の恩返し

塔は「鶴の恩返し」で表しています。


鶴の恩返しは、罠に掛かった鶴を助けたお爺さんの家に、鶴が少女に姿を変えて恩返しに来る物語。


少女は覗かないようにと部屋にこもり、

大変美しい反物を織る。

町に売りに出掛けると、驚く程の高値が付いた。

驚いて少女に告げるとニコリと笑って、

再び覗かないでと、部屋へ

我慢出来ないのはお婆さん。

どうやってあんな美しい反物を織ってるのか?

秘密を知ろうと部屋を覗くと、

そこには一匹の鶴が!

鶴は『知られたからには、ここには居ることは出来ません。』と山へ帰ってしまう。

ウエイト版の塔
塔はバベルの塔
前述の「悪魔」から偽りの知恵を授けられた人間が、
自分たちは天に昇れるほどの知性があるという事で、
「天の門」を意味するバベルの塔を建設。
しかし、神の怒りを買い、崩されてしまう。
塔からはあくまで登場した男女が落ちる姿が描かれている。
これは実に現代の日本に当てはまる状況と言える。
日本が東日本の大地震で原発事故を起こした。
もとは人間の驕りから、有事の際はコントロール不能の悪魔のエネルギーに手を付けた。
それがもとで地元の人たちはバベルの塔から落ちた男女のような思いをした。
問題なのは原発を作ろうとした人と、塔から落ちる人が何故違うのか?
廃炉にするにしても数兆円単位という、とんでもない金額はそれまで稼いだ人ではなく、
税金など、これから掛かる電気代に上乗せされるというのは何故なのだろう?

マルセイユ版の塔 ー こちらもウエイト版と大差ない構図です。

 

もともとは火事になった家とも言われる。

人間は他の動物を違い、

「火を使う生き物」であり、

プロメテウスが、「神が使いし火」を授けたと言われる。

 

火を人間に与える事は神の世界ではご法度だったが、

これにより人間は素晴らしく発展する。

しかし、一方で戦いが激しくなり、

多くの犠牲者を出し、ひとたび争いとなれば恐ろしい今日に至る。

 

一般においても、しばしば火の扱いを誤り、惨事を招くこともある。

つまり、文明の利器はいつの時代も凶器になりうる。

不注意や驕りは一瞬で地獄の底に落ちる事になる。

さて、「鶴の恩返し」の続き、

少女に姿を変えた鶴が素晴らしい反物を織った。

少女は決して覗かないでと言っていたがお婆さんは覗いてしまう。

 

問題は人の裏切り。

 

大きな天災よりも、

実は「人的被害」の方が恐ろしいと感じます。

 

この塔の言いたい事は正にその「人的被害」ではないでしょうか。

「人が一番怖い」

最近のニュースを見てもそう感じます。

「人」によって事態が更に悪化する。

 

鶴の少女は姿を見られたから去っていったのではありません。

まさに裏切って、覗いたから去ったのです。

もし、鶴の少女が反物を織れなくなったら、、、

 

少女に織物を織れ! と、

いずれ強要するかもしれないし、

鶴とバレてしまったからは、

最悪の場合、食べられることも考えられる。

何をしでかすか人は怖いものである。

何故、疑われるのか?

 

それは一番初歩の約束を破り覗いたからである。

その程度、、、とは鶴の少女は納得できないのである。

物語りの初めに鶴は人間の仕掛けた罠に掛かり、

死を覚悟したのである。

助けてもらって人を信用してみたが、

裏切られたのだ。

 

鶴はいつかこの人も罠を仕掛ける人になるかもと、

疑わしき人間性を見抜いて去っていったのだ。

 

塔の崩壊も

鶴が帰っていくのも、

「これくらいいいだろう、、、」の安易で、

人を見くびった心、

人的被害がもたらした災害と言えるかもしれません。


17 星 STAR 牛若丸

希望の星は、「牛若丸」で表しています。

牛若丸は源義経の幼名。

源平合戦にピリオドを打ち、大活躍だったにも関わらず、
朝敵と見なされ非業の死を遂げた人物である。
その鮮やかな生き様、
超人的な武術、
天才的な戦略家として、日本では800年以上経った今でも人気が高く、海外でも評価が高い。
その彼の生涯の相棒が武蔵坊弁慶。
身体の小さな義経と対照的に巨体の弁慶は素晴らしいコンビだったと伝わる。
その出会いのシーンが描かれている。
 
塔の崩壊という絶望の後、
それはやってきた。
しかし、まだ安心はできない。
彼らもまだ、運命の出会いとは気づかず、全力で戦っているのだ。
ウエイト版の「星」は
節制で登場した2つの壺を連想させるのが特徴。
その壺で全裸の女性が水を流す姿が描かれている。
この女性は様々な解釈ができる。
節制で天使として登場していますが、
天使でありながら15番の「悪魔」に心を売り、16番の「塔の崩壊」、
そして、人間に姿を変えられ反省し、壺の中の汚れた水を流している。
また、「恋人たち」、「悪魔」に登場する女性かも知れない。
いずれにしても、悪魔、塔で大アルカナの大きなヤマを過ぎ、
星というカードに転じるのです。
しかし、本当の良い流れが見えるのはまだ先、
だから、「やり直す」「洗い流す」という意味で水を汲むシーンではなく、
流すシーンになっている。

マルセイユ版の「星」

 

こちらはウエイト版との違いがあまりない。

反省をしながら、壺の水を流す姿は同じで、

後ろの木に止まる鳥が反対なだけであろう。

 

木は復活を表し、止まる鳥も幸せの鳥だが、

ウエイト版と共にまだ青くはない。

つまり他動的に幸せを運ぶ「青い鳥」ではないのだ。

まだ、彼女は心を入れ替えたといっても、

「鳥」は神の使いとして監視している状況が伺えます。

 

現状はあくまでも底を打って、

これ以上は悪くならないだろうという暗示。

しっかり、心しなければならないのかもしれない。

さて、牛若丸、

この後、身体の小さい牛若丸が弁慶に勝利。

二人は意気投合し、

天皇家の為、源氏の為、平家と戦う事になる。

まだまだ、先は長いが、

彼らは決して侮ることなく精進する。

 

星が煌々と輝くのは、朝がまだ来ないから、

夜が一番盛んな時に星がきれいに見える。

 

朝の来ない夜はないと希望を持ちながら、耐え忍んで精進する。

まだ幼き頃、牛若丸は父をいわれのない罪で暴君に殺されてしまう。

その父の無念を胸に刻み、精進するのだ。

 

精進とは一日一日を無駄にせず、出来る限りのことをする。

日々反省、日々精進。

 

ウエイト版、マルセイユ版の「星の彼女」もこれまでの事を反省している姿である。

あぁすれば良かった、、、

何であんなことをしたんだろう、、、

どっちにしても人間に後悔は付きまとうと、ある哲学者は言った。

後悔、、、。

とても嫌な言葉だ。

 

しかし、一度大失敗すると、動物は怖くてもう二度と挑戦しない事があると言うが、

人間も動物も一度失敗しても、過去を教訓に力を蓄え再びチャレンジする事がある。

そして、次に乗り越えれば、

その前の一瞬の後悔は反省へと、「成功の母」へと変わる。

 

他人の言う「希望」は絶望の淵に立つ人を前に、言う言葉が見つからない時にも使われる。

 

しかし、「真の希望」とは、成功と同じで、

自分でつかみ取らなければならない。

自分で反省し、精進して、希望の星を掴むのだ。

星のサインは内省し、希望を作れというメッセージ。

種を自分で植えて、希望の木を育てるのだ!


18 月 MOON 羽衣伝説

月は羽衣伝説で表しています。

 

月は幻影、夢想、まどろみの象徴。

現実と夢幻のはざまで行き交う状態を表します。

 

月の世界の天女が下界である地球にやってきます。

天女は肝心な空飛ぶ羽衣をなくしてしまい、月へと帰れなくなります。

その間、地上の男と結婚します。

欲にまみれた地上という事を教えられていましたが、

住めば都、悪くありません。

しかし、無くした羽衣は、実は自分の旦那が隠していたのです。

 

天女は羽衣をとうとう見つけ、天に帰ってゆきました。

ウエイト版の月。

 

月が感心しない重い表情でうつむいています。

両脇の塔は夢幻への入り口。

これを越えると未来の姿が見えるという。

二匹の犬は怖がり、月に向かって吠えている。

つまり、月は決心する心を試しているのだ。

運命は必ずしも良い顔はしない。

どうなるかは覚悟する必要がある。

手前のザリガニは水辺に来れば引きずり込むつもりだ。

犬にとっては行くも地獄、帰るも地獄。

この二匹の犬は、法王の前の祈り人であり、恋人たちの男女であり、戦車の二頭であり、

悪魔に繋がれた二人、塔から落ちる二人、節制と星の二つの壺である。

運命の前には、その誰もが犬同然。

行くのか行かないのか、道(未知)は限りなく続いている、、、、、。

マルセイユ版の月。

 

ウエイト版と構図に違いがない。

強いてあげれば、ザリガニが完全に水につかっている事、道がない事。

 

ザリガニはしばしば甲殻類という事でサソリに置き換えられる。

サソリはさそり座に関連し、

死を司り、性欲や原始的な欲求を意味する。

また、とても情にもろく、

駄目だとわかっていても最後まで献身する面を持つ。

つまり切れない関係の象徴。

 

怖い門をくぐるのか?

それとも前の状態に戻るのか?

色々な事を乗り越えたが、

最後の決断は自分で下さなければならないようだ。

羽衣伝説のつづき、、、、

天女は地球に遊びにやってきて、水辺で水遊びをしていた時に羽衣を隠されてしまいます。

帰れない天女の美しさもあって、男は自分が羽衣を捕ったことを隠して夫婦となります。

男が畑仕事に行っている間、ある日、天女は男の隠していた羽衣を見つけます。

天女は驚きながらも迷います。

帰るべきか?

残るべきか?

短い間とはいえ、

騙していたとはいえ、優しくしてくれた男、、、

 

しかし、天女はやがて決心し、羽衣を身にまとい、月へと帰っていきます。

天女の葛藤、いかばかりであったか?

前のカード「星」で希望を掴み、固い気持ちで臨んだはずだが、

いつもそんな状況で究極の選択はやってくる。

その後の結果は分からない。

後は自分で責任を取る。

人のせいにするのはご法度。

 

月に帰った天女は、

実は身ごもっていました。

その女の子が地上に憧れていたので、

母である天女の二の舞にならないように地上に落とされ、

人間の醜さを見る「竹取物語」へと話は続きます。

「竹取物語」は日本昔話タロットの小アルカナ、「聖杯」スートに登場します。


19 太陽 SUN ネズミの嫁入り

太陽のカードは「ネズミの嫁入り」で表しています。

 

ある、大金持ちのネズミの娘が年頃になって、両親が婿探しをします。

ネズミと言えど大金持ち、とてもとても同じネズミの男など釣り合わぬ!

そう考えた両親は、ネズミの婿に太陽が釣り合うと説得に行った。

すると太陽は雲が出て来たら私の光は遮られると、雲を勧める。
雲を訪ねると、雲は風が吹くと直ぐに飛ばされるという、
じゃぁ、風はと言うと、俺ががんばっても壁はビクともせんと大弱り、
それではドッシリとした壁が婿殿じゃ、
ねずみの両親は漸くとばかりに壁を訪ねた。
 
壁はゆっくりと口を開いた。
ワシはねずみに弱い。
あれま! 驚きのカミングアウト、、、
ウエイト版の太陽
大きな太陽の下、天真爛漫な子供が馬に跨り、大きく手を広げています。
姿は子供ですが、これは偉大な太陽の前では誰しもが子供であることを示し、
太陽が昇る事を心から喜んでいます。
人間は電気のない時代、毎日の夜の到来を恐れていました。
夜は余程の事がない限り、出歩くものではありませんでした。
日が昇る一日の始まりは、命の始まりであり、真っ赤な旗が躍動しています。
白い馬は神聖な力を表します。
馬は火と並んで、人間が飛躍的に発展する事に力を貸してくれた存在。
それまで、僅か数キロだった一生の行動範囲が、数十キロ以上になり、
重いものを運べるようになったことで、
家も立派に、畑仕事も狩りも発達します。
その為、馬は神の使いとされたのです。

マルセイユ版の「太陽」

双子のような二人が喜び合っている。

 

この双子は「法王」に出てきた二人の信者

恋人たちの二人、戦車の二人、悪魔の二人、

やはり太陽の前では子供であることを表し、素直に喜びあっています。

 

ウエイト版の太陽の光線は、

曲がりくねった線と直線、

マルセイユ版の太陽の光線は赤と黄色で表されている。

 

これは太陽が誰に対しても平等である証だ。

さて、日本昔話タロットの「太陽」のつづき、
カミングアウトした壁は、
「先だってもガリガリと穴を開けられた、痛いの何の、本当に強いのはねずみに違いない!」
とネズミに痛い目にあった事実を告白!
あれまっ!
太陽、雲、風、壁と来て、ねずみが一番強いとは!
ネズミの両親は弱いと思っていた自分たちが強いと聞いて驚いた。
そうして、ネズミの娘はネズミの婿を迎えて幸せになりました。
このカードが伝える事は、
全ての人が自分に合った相手、夢、その他様々なものがあり、
それと結びつく事が真の幸せという事だ。
ネズミが太陽と結婚するなんて言うと、馬鹿げているが、
しかし、自分の過去を振り返った時、
単なる見栄や意地で無駄なものに労力をつぎ込んできた事が誰しもあるだろう。
太古の人は
物欲はそもそも人が大事なことを忘れてしまう「きっかけ」になってしまうと言う。
異性に対しても、身分や容姿だけに振り回されるのは、
異性をモノとして見ていないか?
本当に大事なのは心の繋がり、
仕事でも家庭でも、心の繋がりを大事にして、
お互いの発展の為に頑張る事。
そんな繋がりは太陽も祝福してくれるのだ。

20 審判 JUDGEMENT 三年寝太郎

「審判」は三年寝太郎で表されています。

 

ある村に住む「太郎」はいつも寝てばかり、

その為、村の皆から「三年寝太郎」と馬鹿にされていた。

その村は慢性的な水不足に悩んでおり、

この年の水不足は一層深刻でした。

そこで村の者は一同集まって対策を練ったが全く役に立ちそうもない。

いっその事雨乞いでもするか!という事で、

いけにえをどうせ寝てばかりの三年寝太郎にしようと決めた。

そうして、村の若い衆は太郎を襲撃に出かけたのだ。

太郎の家まで来ると、

はて? 太郎が家を出ていく。

村の若い衆は「気付かれたのか?」と怪訝になりながらも、

後をついていった。

太郎は絶壁に来ると、岩を持ち上げ、谷底へと投げ落とすのだった。

ウエイト版の審判。

 

まず、上空の大天使がとてもインパクトある絵柄です。

天使は十字の旗がひらめく復活のラッパを吹き、

周囲には黒い雲が立ち込める。

手前の棺桶から男女と子供が蘇り、天を見上げている。

 

十字は人類が使う最も古いサインの一つで、

ギリシャ十字をはじめ、日本の卍など、様々な形で残されている。

太陽の象徴や宗教的意味が込められているのだ。

 

先のカードである、「太陽」はなくてはならない存在であるが、

ずっと照り付ける太陽も困るものだ。

人には潤いが必要であり、このカードが雨の恵みも意味する。

 

マルセイユ版の審判。

 

こちらの審判は先の太陽を隠していることが分かりやすい。

太陽の光線が隠される形で大天使が位置する。

 

審判の絵柄もウエイト版、マルセイユ版、両方に大きな違いはない。

十字の旗も同様に描かれている。

 

下にいる人も待ちわびたように喜ぶ姿に見える。

この審判のカードが、これまでやってきた行いの結果がいよいよ現れる。

 

あなたがやってきた事が何であったのか、

それは人が決める事ではなく、

天のみぞ知る。

「神の思し召し」なのだ。

さて、日本昔話タロットの審判、三年寝太郎のつづき、、、

三年寝太郎が投げ落とした岩は、崖を転がり岩が岩を呼び、

谷底へと落ちていく。

 

谷の下には川、

その川を大岩は堰き止め、大きく流れを変えていく。

流れの変わった大水は、村へと流れ水不足の畑や田んぼを潤した。

 

実は三年寝太郎は慢性的な水不足を打開策をずっと考えていたのだ。

本当は少しずつ水不足解消の為、準備をしていたはずだが、

内容が理解できない村の者たちには何もせずにただ寝ているように映ったのであろう。

革命的な事、斬新な事、

そういったことは出来上がるまで、

また出来上がった直後も周囲には理解できない事はよくある話。

 

「三年寝太郎」は自分の「やりたい事」、「夢」、「目標」は目先にとらわれず、

しっかり将来を見据えて行動し、

そののちに天が「審判」を下してくれるという事を伝えてくれる。

 

1番の「魔術師」「一寸法師」でときめいたこと、出会ったことが

色々な事を教えてくれ、そして経験し、心の変化があって、

とうとう、結果をもたらす。

その結果はありのままであり、

あなたが分かっていた結果であり、

あなたの個人的なエゴが入り込む余地はない。

 

さぁ、あなたの行動、言動にどんな「審判」が下るのか?


21 世界 WORLD 瘤取り爺さん

大アルカナの最後のカード「世界」は「瘤取り爺さん」で表されています。

 

瘤取り爺さんは片方のほっぺに「瘤」がついておりました。

振り向くたびにぷらーんぷらーんして、少々困った存在でしたが、

爺さんはこれもわしの一部だとにこやかに過ごしておりました。

 

ある日、お爺さんは野良仕事の最中、疲れて眠っておりました。

余程疲れていたのか、目が覚めるとすでに真っ暗。

お爺さんはあわてて帰ろうとすると、とても騒がしい声が。

草場から覗くと鬼たちが酒宴を開いておりました。

お爺さんは怖い鬼ではあるが、楽しそうな姿に飛び入り参加した。

お爺さんのうまい踊りとほっぺを「ぷらんぷらんする瘤」に鬼たちは大喜び。

すっかり酒や肴までごちそうになりました。

帰るとき、「また明日も来てくれ!」と鬼は爺さんの瘤を取ってくれましたとさ。

ウエイト版の世界

 

中央に女性が位置し、周囲を月桂樹で象られた円がある。

この円の上下に赤いリボンがあるが、これは無限大(∞)を表す。

つまり「世界」というカードは達成や出来上がった世界を表すが、

それが終わりではなく、そこからがまたスタートであり、

永遠であることを示す。

 

四方には四大エレメントであり、四大天使を表すシンボルが位置する。

これらシンボルは「10番運命の輪」でも登場するが、

その時には福音を書く姿であり、

また、秘伝を復習する完成の前の姿であった。

ここではすでに完成の域に達したのであろう。

マルセイユ版の「世界」

 

こちらも構図はあまり変化がない。

キリストの絵画によく似た絵があり、モチーフとされたようだ。

 

その為、中心は男性であったが、

現在ではほとんどのタロットで女性となっている。

 

男女とも「女性性」は必ずあり、

完全なる「女性性」を理解し、

身につけるのは女性でも難しいとされる。

全ての命は女性から産まれる。

 

そう考えると、終わりであり始まりである世界のカードの中央は

女性がお似合いのように思う。

さて、鬼に瘤を取ってもらったお爺さん、

意気揚々と帰りました。

驚いたのは隣の偏屈爺さん。

実はこの偏屈爺さんのホッぺにも瘤があるのだ!

瘤を取ってもらったお爺さんに偏屈爺さんは、たいそう嫉妬した。

そして、「おらも取ってもらうだ!」と、鬼の居場所を聞きつけて、鬼の宴会場へ向かった。

 

楽しもうと参加した瘤取り爺さんと、

ただ厚かましくも瘤を取ってもらおうとする偏屈爺さんは心の在り方が根本的に違うのであります。

鬼は見抜いて、偏屈爺さんの瘤のないほっぺにも瘤を付けて追い返しました。

 

鎌倉時代に書かれたこの「瘤取り爺さん」の教訓は何でしょうか?

 

この物語は「人をうらやむとは何と心狭きことかな、、、。」と締めくくられます。

 

自分がこの世に生まれてきて、幸せを掴もうとするならば、

人に嫉妬したり、羨むことはしてはならぬと、

心が狭くなり、自分の可能性さえも小さくしてしまうという戒めです。

 

私たちも自分の幸せ(世界)を作り上げるには、

人を打ち負かしたいとか、いい格好したいなどと考えずに、

真に自分の心に向き合わなければなりませんね。

 

周囲の4つのシンボルは、それぞれ

かちかち山、竹取物語、桃太郎、花咲か爺さん、

小アルカナの4つの物語を表しています。